平尾山荘は福岡市中央区にある市指定文化財史跡となっている茅葺屋根の古民家です。
福岡市で知っている人は知っている「平尾山荘小路」と呼ばれる昭和の長屋スポットが近くにありますが、意外とその名前の由来ともなっている平尾山荘についてはあまりよく知られていないようです。
今回は勤王の志士たちを支えた女流歌人が暮らした平尾山荘を訪ねました。
平尾山荘とは?
平尾山荘は福岡市中央区平尾の住宅街の中にあります。ここだけ雑木林が残り平尾山荘は史跡として残っていますが、学校帰りの子供たちも通っていくような自然と地域にも溶け込んだ場所です。
平尾山荘はのちに野村望東尼(のむらぼうとうに)として有名になる女性が夫と共に隠居先として歌を詠みながら過ごした場所です。
福岡藩士の娘モトとして生まれ、夫が亡くなったあと剃髪して「望東尼」となり幕末の勤王家(天皇に忠義を尽くす人)として活躍します。
かの高杉晋作もこの平尾山荘で望東尼がかくまっていたこともあり、2015年大河ドラマ「花燃ゆ」では平尾山荘と望東尼も登場しています。
高杉晋作の辞世の句は上の句があまりにも有名ですが、実は下の句が続かない晋作を励ますように望東尼が引き継いで詠まれたと言われています(諸説あります)。
私、下の句の方がすき
そんなすごい女性が平尾に住んでたことにびっくりよ!!
平尾山荘は「山荘」ではない
平尾山荘はいわゆる山小屋の山荘ではありません。
山荘っていうくらいですし、近くに「平尾山病院」まであるので、「昔この辺は山でそこにあった山荘なんだろう」と思っていましたが、実は平尾に山はなかったそうです。
この場所は当時は平尾村向陵(むこうがおか)とよばれ、管理人のYさんによると豊満山と若杉山のむしろ麓にあたる場所で周りはほぼ田んぼだったのだとか。
その中にぽつんとこの茅葺の家だけが建っていたことから山荘のように見え自然とそう呼ばれるようになったのではないかということでした。
今では平尾山荘から由来して「山荘通り」「山荘公園」「山荘パーキング」など地名のようにあちこちで残っています。
現在「平尾村」といえば平尾駅前の昭和スポットの呼び名ですが、
平尾山荘付近は広く「平尾村」と呼ばれたようです
愛称ではあるけど今の平尾村も昔の平尾村の一部だったかもしれないね!
現在の平尾山荘は3代目、築約67年
今の平尾山荘は実は3代目です。2度の再建を経て残っています。
- 1845(弘化2)平尾山荘完成
野村夫妻が移り住むものの、夫妻がいなくなったあとは廃屋になる
- 1909(明治42)平尾山荘再建・維持活動の開始
向陵会という有志により再建される
- 1956(昭和31)改築
老朽化と共に改築される
管理人Yさんのお話によると、幕末の活躍で有名になった望東尼のイメージから明治に再建された2代目は実際よりも立派につくり過ぎ批判を浴びてしまったようです。
そのため昭和の改築時には元の簡素なイメージを引き継ぎ、今はより初代に近い姿を見ることができます。
平尾山荘 外部のつくり
まずは平尾山荘を外からじろじろ見てみましょう。
平尾山荘は掘立柱建物
茅葺の家といえば当然ながら礎石に柱を立てる石場建てのつくりかと思いましたが、それであれば100年以上たつ古民家も珍しくありません。
それにも関わらず明治に再築されたものが残らなかったのは、平尾山荘は意外にも掘立柱建物なのだそうです。
地面に穴を掘り、硬く詰めた上に柱を立てる方法。庶民でも簡単に建てることができたが、柱が地面から水を吸ってしまい腐朽が早い
平尾山荘で暮らした野村夫妻には息子に譲った立派な家が城下にありましたが、ここはあくまでも隠居の場として簡素に建てられたようです。
山荘の入り口側を除いてぐるりと濡れ縁が囲ってあります。この濡れ縁部分には礎石が置かれていました。
漆喰壁や蔀戸・戸袋…古民家要素が散りばめられている
外壁は木の腰壁と漆喰が塗られていました。まだとてもきれいで詳細は不明ですが2009年に屋根を葺き替えた際に一緒に補修してもらったのかもしれないとのことでした。
上の写真はちょうどお手洗い部分ですが、この窓が「無双窓」というスライド式になっています。
たて付けられた格子と同じ寸法と格子引き戸をスライドさせることによって、開け閉めができます。用を足すときは閉めて終わったらすぐに開けられるようになっているんですね。
この窓のすぐ下に汚物を取り出すための小さな戸がついていました。
食事中の方ごめんなさいね〜…
現在は近所の子供たちがボール遊びをしたりして外れてしまうため、開かないよう打ち付けてあるそうですが、ずらして引っ張るとすぐに外れるそうです。
昔のお手洗い事情はそうなってたのね
子供たちが障子を破っちゃうこともあるらしく…
あんまり激しい遊びはここではだめよ〜
蔀戸(しとみど)もありました。蔀戸は水平に90度上に上げて使う窓で平安時代に引戸が開発されるまでは一般的な建具でした。
本来は上にひっかけて吊り下げて開けておくものですが、戸が重く開け閉めが大変だったとされています。ここでもつっかえ棒で通常は小さめに開けられています。
雨戸をしまうための戸袋(とぶくろ)もありました。
ここには2枚分の雨戸をなおしておくことができます。実際にやってみましたが、本当にずらして奥に押し込むだけというシンプルなつくりです。
雨戸を出してみたところです。管理人さんが毎日開け閉めをしているので今でもスムーズに使えるのですね。
この戸袋、袋の名前の通り開け口は1つしかありません。以前木片が中に入り込んでしまった時は雨戸がしまえず、木片を取り出すのに苦労されたようです。
取れなければ大工さんに依頼して開けてもらわなければならないようで、昔の人にとっても戸袋あるあるだったのかなと思いました。
雨戸を横向きに設置してある珍しいタイプで、戸袋も横向きになっている箇所もありました。引っ張り上げるのちょっと大変そうです。
3階層に葺かれた茅葺屋根
近づいてみると小さくはあるもののやっぱり茅葺き屋根はどっしりとしています。
藁は3階層に葺かれていて、今一番上の層が少しはがれつつあるとのことでしたがもうしばらく大丈夫だそうです。
今でも茅葺は約20年に一度葺き替えがされています。
福岡では茅葺職人さんが見つからず、
前回は熊本の阿蘇から来て見てもらったそうです
庇(ひさし)の下地はの相じゃくり実矧ぎ (あいじゃくりさねはぎ)と思われる接ぎ方がされていました。
今でもよく使われる方法ですが、最初に方法をあみだした職人さんたちは本当にすごいのです。
職人の仕事といえば、庇の下で4本の部材が木組みされるなど仕口もちらほら見られます。
釘などを使わず、木材同士に高度な加工を施すことで2つ以上の木材を接合する技術。部材同士を90度など角度をつけてつなぐのが仕口。平行につなぐのが継手。
平尾山荘 内部のつくり
今度は中に入って見ましょう!
昔の家は通常お客さまと家人の入り口は別になっています。
正面に沓脱石(くつぬぎいし)があったのでお客さまはここから入ったのかもしれません。家人の入口は右の短手(つま側)方向に土間があります。そこから入っていきましょう。
おじゃまします!
小さな土間です。すっきりとした板間がいいですね。サイズ感ちょうどよくて気に入ってしまいました。
小さな古民家好き!
板間に上がってみたところです。トタンの消化バケツに急に昭和レトロを感じます。
ここで炊事をしていたのかと思いますが、かまどなどは再現されていないようです。
板間を抜けたすぐ向こうが6畳の座敷です。
リアル火鉢が鎮座しています。
炉畳(ろだたみ・炉の形に切ってある畳)がありますが、実際にはなかったもので再建時に作られお茶を点てることがあったようです。
床の間は吊り床と置き床のセットが設置されています。もともとの形かわかりませんが、移動させることができたりと小さな家には好まれるのが置き床です。
奥の障子を開けさせてもらい、しばらくここで足を伸ばしたり縁側で足をぶらぶらさせて遊んでいました。
初夏の陽気に心地よい風が入り、雑木林の葉がこすれる音や近所の子供たちの声が聴こえてきます。
まあ、寝そうでしたよね。
あとで管理人のYさんに話したら「あぁ別にいいですよ、あんまり人も来ないし」と笑ってらっしゃいました。
良いんだ……!寝れば良かった!
入ってきた人はびっくりするよ〜
他にも表の間や寝室など2〜3畳の小さな部屋が3つあります。押入れなども増築され初代と少し違う間取りになっています。
高杉晋作、どこで寝てたんだろう〜
天井は一般的な竿縁天井(さおぶちてんじょう)がはられていました。天井裏には小さくとも立派な梁が横たわっているそうです。
襖のひとつを開けるとお手洗いにつながっています。手前が男性用、扉が開いている奥が女性用とちゃんと別なのです。
襖はあけてもOKですが、中には入らないよう書いてありますのでご注意ください
雨待の滝と井戸
家の裏側、土間のすぐそばには「雨待の滝」のなごりと井戸が残っています。
歌を詠んでいた野村夫妻は風流なものを好んだため、山々の終わりの土地であるこの場所に滝をひいたそうです。ただし実際には完全に引くことはできず、雨の日の後だけ流れる滝になったのだとか。
そしてそれは今でも名残があり、雨の翌日はここから水が表まで流れていきます。水路の終わりあたりには水琴窟(甕(かめ)を地中に埋めてしたたる水音を響かせるつくり)があるのかなんともかわいらしい水の音が聞けるスポットがあります。
昔の人は本当におしゃれなことするなと感心します。
2日前まで雨が降っていたから
タイミングよくすてきな音色がきけたよ!
今でも井戸は湧いているようで、昔はお茶を点てるときにも使っていたそうです。
昔の家のつくりがぎゅっと詰まった平尾山荘
小さな古民家ですが、あちらこちらに今では見られないつくりをたくさん発見できた平尾山荘でした。
一番びっくりしたのは、女性に制約が多かった幕末に縁の下で維新を支えた人がかつて身近なところに住んでいたことかもしれません。
今は福岡市によって管理されていますが、明治からの有志や日々資料室で管理されている管理人のYさんなどこれまでの色んな人たちによって今まで存在が残っています。みんなで大事に残していきたいですね。
ちなみに隣接する資料室も昭和27年に建てられた立派な古民家なのです
資料室にいらっしゃる管理人のYさんはとっても気さくで親切です!質問するとなんでも答えてくれますよ。お時間割いて頂きいろいろ伺えました。本当にありがとうございました!
平尾山荘 所在地
住所 :福岡市中央区平尾5丁目2-28
<見学時間>午前9時から午後5時まで(入場は午後4時30分まで)
<定休日> 年末年始
<駐車場>なし
<参考資料・書籍・サイト>
平尾望東会「平尾を愛した 女流歌人・勤王家 野村望東尼」、川上幸生「古民家の調査と再築」一般社団法人住まい教育推進協会(2019)、福岡市の文化財「平尾山荘」