全国に千年家と呼ばれ有名なものは兵庫県に2つ、そして福岡に1つあります。今回の古民家探訪は福岡県糟屋郡新宮にある千年家の横大路家住宅を訪ねました。
横大路家住宅は国の重要文化財となっています。恐れおののいちゃうような空気をまとった古民家にたじたじになりながら一人で取材して参りました……。
今回は心の中でマドレーヌさんを何度も呼んだよ……
(なにがあったのかしら……)
横大路家住宅は築370年以上
横大路家住宅(よこおおじけじゅうたく)は九州最古の民家で1977(昭和52)年に国の重要文化財になりました。
2000(平成12)年から2年間かけて保存のための修繕工事が行われ、その過程で1650年以降に建てられたものであることが判明しています。
千年家(せんねんや)と呼ばれる理由
1650年以降であれば、横大路家住宅は築370年以上ということなります。ではなぜ横大路家住宅は千年家と呼ばれるのでしょうか。
その理由は横大路家と日本で仏教に大きな影響を与えた最澄との関係にあります。
最澄は805年に今の福岡県糟屋郡にある立花山周辺で布教活動を行っています。寺の場所を決める際、放った矢は立花山に落ちましたが、それを目撃したのが猟師の源四郎でした。
その後、布教の間身を寄せたのが源四郎の家であり、そのお礼に最澄は「横大路」の姓、自ら彫った「毘沙門天像」、錫杖を刺して湧き水を生んだ「岩井の水」、唐の天台山から持ち帰った「法理の火(ほうりのひ)」の4つを源四郎に授けています。
「法理の火」は源四郎の家の竈(かまど)に灯されました
横大路家はその火を千年以上守り続けたことから千年家と呼ばれるようになったのです。
横大路家住宅と竈門神社
千年以上守られてきた「法火」ですが、横大路家当主の死去に伴い守り続けることが難しくなり、2011年に太宰府市の竈門神社にある「妙香庵奥の院」に「蓮華のともし火」として移されています。
え!あの「鬼滅の刃」で一躍有名になった神社だね!
「鬼滅の刃」……
気になってるけど未だみてない……
また、最澄が唐留学から帰国して最初に建てた寺である独鈷寺(とっこじ)は現在でも立花山に残っています。
源四郎に授けられた「毘沙門天像」は毎年4月13日に一般公開されています。
水が出ずに困っていた源四郎たちのためにと湧かせた「岩井の水」は口コミによると残っているようです。
横大路家住宅は住宅街の先にある
横大路家住宅のある糟屋郡新宮町というところは、2010年頃から新宮中央駅周辺で宅地開発が進み2015年には全国で人口増加率が全国1位にもなったことがある地域です。
新宮中央駅から横大路家住宅まで20分ほどを歩いてみましたが、きれいな新築の家がたくさん並び、「本当にこんなところに茅葺き屋根が……?」と思わせるピカピカエリアが続きます。
新宮中央駅からは千年家へ直通のコミュニティバスも出ています
すると住宅街の突き当たりに小高い竹林が現れました。なんとなく、すっかり様変わりしてしまった社会から千年家を守っているかのようにも見えます。
なんか、いやな予感がする……
左へ道なり歩いていくとコミュニティバスのバス停が千年家への入口を教えてくれました。
入口に立つと、嫌な予感の通り私はここで少しもじもじすることになってしまいました。
なんかこわいぜ……
チキンなゆるこは普段から神社仏閣や教会にひとりであまり入れません。やましいことでもあるのか得体の知れない恐怖を感じるのですが、そんな神聖な空気感がここにもあります。
マ、マドレーヌさん……
(呼ばれても……普通に仕事してたわ)
これは大誤算でした。「鬼滅の刃」つながりで平日でも人がいそうだとふんでいたのに、こんなに静かなんて絶対誰もいなさそう。
しかしもう目と鼻の先なのに行かないわけにはいかないのです……!
竹林の中で守られる横大路家住宅
小径を終えると、竹林に囲まれてぽっかりと空間が広がり大きな大きな茅葺屋根の一部が見えました。
ひいいい……!!!
もう無理だ。帰りたい。
私はおごそかな雰囲気も苦手ですが、巨大物恐怖症で大きい物も苦手です。この茅葺屋根は予想以上にとてもでっかいのです!!
古民家は屋根が大きいのも特徴なのに、
そんな人が古民家好きっていう……
マドレーヌさんと来れば良かったと心底後悔しながら、横に一歩ずつカニ歩きしながら全体像をつかむべく勇気を出して少しずつ進むのです。
その間も周囲の竹林の竹がぶつかり合ってすごく大きな音を立てるんだよ。
いちいちめっちゃびっくりするんだよ、ほんとだよ……
横大路家住宅は曲がり家のつくり
そして現れた横大路家住宅です。おどおどしながら頭を下げてごあいさつです。おじゃまします。
写真で見ると分かりにくいかもしれませんが、収まりきれずにパノラマ撮影しています。
前に立つとこれまで会った古民家とは全く違う圧倒感があります。自然の素朴な家というよりも迫ってくるような力強さとその迫力に思わず座り込みそうになります。
幅だけでみると25m以上はあるようです。江戸中期のものとして特別大きい方というわけではないかも知れませんが、見慣れないと大きく感じるのです。
805年頃の猟師の源四郎の家がそのまま残っているわけではなく、この建物は1650年以降のものです。
その後も増築されたり減築されたりさまざま形は変わったようですが、2000年の保存修理を経て約180年前(1843年頃)のL字の「曲がり屋」の形に復元されています。
長方形平面の直家(すごや)に対して、厩(うまや)と人が生活する母屋が一体となったL字型平面の家
上の写真の正面左側が厩と味噌部屋のある土間で広く、右側が母屋で座敷や居間が並びます。
中に入って……
え……!!!
勇気を振り絞って入口に近づいたというのに、まさかの臨時休館なのです!内部はみれません!
………。
(ちょっと良かったって思ってる……??)
どちらにしてもひとりで入れる気はしませんでしたから、今度マドレーヌさんと一緒に入ることにして今回は外観をしっかりご紹介します!
土壁と直接つながる石場建て
横大路家住宅は伝統構法で建てられた民家で、基礎は石の上にそのまま柱を立てた石場建てです。
礎石の上に隙間なくぴっったりと柱がのっているように見えます。
石場建ては実際にはぴったりではなくて職人の裁量でほんのちょっとの隙間は意図的に見逃されているよ。余裕をもたせることで地震のときにそのあそび部分で揺れを逃すんだよ
伝統構法の家でも礎石と壁の間には普通は床があり、床下を作って風通しをよくしています。しかしこの横大路家住宅は礎石と壁が直接接している珍しいつくりです。
建物の東側に厩の裏口らしきものがありますが、ここは板壁にもつながっていっています。
礎石に合わせて柱や貫が光付けされたのが分かります。今はわずかにすきまができていますが、こうやって多少ズレても屋根の重みで押さえつけられ、他の骨組みとも支え合って倒壊することはないのです。
礎石のでこぼこを木材に写し取り、微調整しながらぴったりと部材同士が密着するように木材を削っていく作業。昔は竹と墨などわずかな道具と職人技で行われ、一つの柱にも膨大な時間がかかる
修復された土壁
土壁も近づいてみると藁と思われる素材が模様のようになってきれいに修復されています。
ザラザラとはしていますが、触ると色味も手伝ってあたたかい感じです。ノックしてみると硬さを感じます。
一部構造が見えてました。土壁は小舞竹と呼ばれる竹を組んだ下地に砂や土、粘土、水や藁などを何度も塗り重ね乾かされて作られます。その層が確認できますね。
寄棟造と茅葺屋根
横大路家住宅の屋根は家の半分ほども占めそうなほど大きくそして分厚いのです。葺いてある茅の厚さは30cm以上はあったと思います。
雨の通り道には瓦がしかれています。
屋根の形は今でも多くの民家で見られる寄棟造(よせむねづくり)です。
正面からだと分かりにくいですが、4方向に勾配がついています。棟に向かって4つの面が寄り集まっているため寄棟と呼ばれるものです。
裏から見るとよく分かりますね。
仕口と継ぎ手
横大路家住宅は外から見るだけでも、仕口や継手などの木組みの箇所をたくさんみつけることができます。
釘などを使わず、木材同士に高度な加工を施すことで2つ以上の木材を接合する技術。部材同士を90度など角度をつけてつなぐのが仕口。平行につなぐのが継手。
上は厩入口の柱。柱の下部と上部が継手で組まれ、さらに上部の部材には「通し貫」という柱同士をつなぐ部材が差し込まれています。
この柱のさらに上部をたどっていくと……
仕口でも継手でもないような木組みがされています。この部分だけ腐朽したのか、くり抜いてその形そのまま他の木材をはめこんだようです。
柱などの構造材が丸見えの真壁造りは、こうやって傷んだ箇所を発見し補修を繰り返すことで、家を長い間使い続けてきました。
軒桁部分にも継手で組み合わされた部材に「込み栓」と思われる木材の留め具が差し込まれているようです。
恐怖も薄れてきて、家の周りをうろうろしながら木組の箇所を探すと「すごいなぁ、すごいなぁ」と楽しくなっていきました。
よかったね
改築を重ねた横大路家住宅
今でも残っている古民家の多くは増築などの改築を重ねて大事にされてきました。この横大路家住宅も300年以上もの間に増築や減築をされていたことが分かっています。
建物の裏には在来工法で建てられたか伝統構法との混構造か、増築された部分があります。曲がり家のL字が今はT字になっているような形です。
茅葺屋根と土壁の母屋のそばで一見チグハグにも見えますが、2011年にご当主が亡くなるまで横大路家の人々が変化を重ねながら300年以上守ってきてくれました。
いつ頃増築されたものか分かりませんが、国の重要文化財になると建物や周辺環境の変更は厳しく制限もされる上、維持管理もお金も手間もかかって本当に大変です。
母屋の裏に遠慮がちに小さくひっそりとたたずむ様子は、そんな人たちの健気で謙虚な姿にも見え、自然と頭を下げたくなるのでした。
おわりに
さすが国指定の重要文化財でもあり、今回は伝統構法の教科書でも見せてもらったかのような古民家でした。次回は内部を見学したいですね。
こわい思いを色々した今回の古民家探訪ですが、最後は軒下に腰掛けてお茶を飲みほっとしたところで、はっとしました。「そういえば防犯カメラあったんだった……!」
私の一連の挙動不審がすべて録画されてしまったことを思うとせめてマスクしとけばよかったと遠い目をするしかないのでした……。
つくりや素材についての見立てはゆるこ(まだまだ古民家勉強中)によるものです。事実と異なる場合もあります。ご了承ください。
横大路家住宅 所在地
住所 :福岡県糟屋郡新宮町上府420
TEL : 092-962-5511(シーオーレ新宮歴史資料館)
<見学時間>水曜日〜日曜日(10:00〜16:45)
<休館>月・火
<駐車場>道路向いに数台有
<参考サイト・参考書籍>
福岡県徹底探検隊「横大路家住宅(千年家)」、福岡市公式シティガイドYOKANAVI「横大路家住宅(千年家)(よこおおじけじゅうたく(せんねんや))」、NPO法人歩かんね太宰府「妙香庵奥の院」、福岡県新宮町「千年家の伝説」、縄文のくらしに学ぶ木の家 波の家「木の家を訪ねて(横大路家住宅)九州最古の民家」、福岡県の文化財「横大路家住宅」、ニッポン旅マガジン「横大路家住宅(千年家)」、川上幸生「古民家の調査と再築」一般社団法人住まい教育推進協会(2019)