町家は都市部で見られる古民家です。実は平屋から3階建て以上のものもあったり外からみるだけでも色々な種類があります。
知っておくと、「これも町家だったんだ!」と意外と近くの町でも見つけることができるかもしれません!
町家(まちや・ちょうか)の特徴
町家は「うなぎの寝床」と言われるように間口が狭いのが特徴です。昔は間口の大きさに応じて税金がかけられていたので、みんな正面は狭くして奥行きをながーくしていました。
このような特徴を持ちつつ、時代によって町家も変化していきました。
平屋(ひらや)
ほとんどの町家は一階建てでした。
入口は平入りで、中世(平安後期〜戦国時代)までは土壁や板で作った切妻(きりつま)屋根が多かったようです。
この形で奥行きが長いつくりです
厨子二階(つしにかい)・中二階(ちゅうにかい)
江戸時代から明治後期までは、厨子二階という二階部分の天井が低くつくられた建物が一般的になってきます。
町家は宿場町や城下町に多かったため、大名行列の通り道に面していました。そんな大名たちを見下ろすことは不敬にあたるため、厨子二階は物置として使われることが多かったようです。
この虫籠窓と袖卯建(単に卯建ともいう)があるつくりが全国的に町家のかたちとして標準になっていきました。
特に卯建は高く作ったり装飾を派手にしたりして、家の裕福度を示すものでもありました。
「いつまで経ってもうだつが上がらない」は
卯建が高くできないおうちや主人を指して言ったことがはじまりです……
町家のつくりが由来の表現だったんだね!
総二階(そうにかい)・本二階(ほんにかい)
総二階は今の二階建ての住宅と同じイメージです。明治後期から昭和初期に多く建てられ、今でも多く残っています。
二階の天井の高さも一階と同程度または一階以上の高さがあり、居住用として作られ始めました。虫籠窓や格子に代わってガラス窓がはめ込まれています。
三階建(さんかいだて)
三階建て以上の木造の建物は戦前は商家などを中心に一般的に建てられていました。全国に残っていますが、京都に特に多いようです。
戦後になると防火のため三階以上の木造住宅は禁止されていましたが、1987(昭和62)年から法改正により再び建てることができるようになっています。
二階建てよりも床面積が広く、日当たりや眺望が良いのが特徴です。
古い木造三階建てを見つけたら戦前からあるんだなってわかるね
木造三階建てって迫力あるね!
仕舞屋(しもたや)
京都にある仕舞屋は住宅専用となった町家です。元々は商売をしていたお店を辞めて「仕舞った」建物です。
元の店の主人は別の場所に静かに住み仕舞屋で家賃収入を得るなど、今の不動産活用をしていたところもあったそうです。
仕舞屋の格子は下部が細い千本格子、上部が欄間のような荒い格子になっているため、すぐに見つけることができます。
大塀造(だいべいづくり)・高塀造(たかべいづくり)
大塀造は家が道に面しておらず、表通りを塀で囲んだ造りです。
主に京町家で見られ、店舗として使われるというよりも大きな商家やお医者さんなどの裕福な人たちの住居に取り入れられました。
門をくぐると木々や草花を植えた前栽(せんざい)があり、住居である母屋の前には洋館風の小さな建物が建てられることもありました。
京都じゃないけど、福岡市中央区の「やぶ金」もそっくりなつくりだったね!
確かに!洋館や坪庭もある大塀造でした
看板建築(かんばんけんちく)
看板建築は、昭和中期の高度経済成長期から、特に関東大震災以降よく見られるようになりました。
木造住宅として新たに建てられたものもあれば、昔からある町家の正面だけを近代的に洋風に改修したものもあります。
古民家の特徴でもある長い軒桁はなく、のっぺりした平らな壁が特徴です。そこに銅板やタイル、モルタルなど防火のための様々な素材を張るなどしたため、その自由なデザインが看板に例えられました。
外観は古民家の町家には見えませんが、内部は町家のつくりがそのまま残っていたり元のかたちに戻すことも可能な場合が多いそうです。
福岡市だと箱崎や美野島商店街に看板建築がたくさん残っているね!
町家が急に身近に感じられますねぇ
<参考書籍・参考サイト>
川上幸生「古民家の調査と再築」一般社団法人住まい教育推進協会(2019)、今日町家作事組 京町家用語集「総二階」、Wikipedia「木造3階建て」、「看板建築」、国土交通省「木造3階建て住宅及び丸太組構法建築物の建築確認統計について(平成21年12月分及び21年分)」、八清 京町家事始「時の流れで用途が変わった仕舞屋」、「富と名声の証とされた大塀造」、街建「看板建築とは?都内でみかける看板建築《第39回 街建コラム》」