古民家再生のパイオニア「古民家再生ものがたり これから百年暮らす」

古民家を読む古民家本
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古民家再生のパイオニアともいえる建築士の降幡(ふりはた)さんの本です。この本を読んで今も日本全国で広がっている古民家再生は降幡さんの周辺でにわかに動きだしたものだと知りました。彼ががどうして古民家再生に携わることになったのか、その第一号となった長野県の民家のお話から始まっています。

建築士が書いたというと私の勝手な思い込みではなんだか小難しそうだという印象がありましたが、そこは全然心配なく、タイトル通り「ものがたり」が綴られています。古民家のこと、これを読んでもっと知りたい!と思うようになりました。

家の設計は人生を設計することと同じです。軽く考えるべきではありません

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(175頁)
今日紹介するのはこの本
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家のお医者さんで心理士さん

降幡さんはもともと古民家再生をやろう!としたわけではなく、新しいものが良しとされていた80年代にはむしろ古いものを何年もの間壊していた立場でした。壊しては新しく建て、また破壊しては新築するを繰り返す中で違和感が大きくなっていきます。

今では考えられないほどの良材が用いられ、高度な技と心を込めて造られた民家。何代にもわたって拭きこまれ、磨きこまれた愛情の跡。それに鉄槌を下し、刃物で切り込む。家から悲鳴が聞こえるようだった。

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(12~13頁)

これを読んだとき目の前で見ているわけでもないのに見ていられない、と感じてしまいます。このあと建築士として降幡さんは家のお医者さんになろうとしていきます。お医者さんとして物理的な家の修復(治療)を行うわけです。でも人のように泣き叫ぶわけでも血を流すわけでもない家に対してこんな風に耳や心を傾けられるというのは対話しながら寄り添っていこうとする心理士さんのようにも見えます。(だからこそ古民家再生を「ものがたり」として一般読者でも感情移入できる本になっているのかもしれません。)

あとで他の古民家関連本を読んで分かったことですが、心無い建築士さんがたくさんいることも確かなようです。降幡さんは家のこと、施主さん家族のこと、一緒に働く周りの方のこと、色んなところに心を配る方なんだなぁとこの五カ条を見ると感じます。

<再生工事の五カ条>

一、民家の持っている特徴を尊重すること。

二、再生する民家に相応しい本格的な工事であること。

三、無駄をはぶき、費用のかからない方法をとること。

四、新築同等に便利なものになること。

五、長持ちして、いつになっても飽きないものにすること。

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(36~37頁)
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「古民家再生ものがたり」を読んでわかること

今も未来も過去の延長線上にある

「今も未来も過去の延長線上にある」と書いて、そりゃそうだ、当たり前すぎてばかみたいだわと思ったのですが、でも実際には何かをやろうとか為そうとかするとき少なくとも私は過去を見ようとは思ってこなかったと思います。

過去を捨てて「現在」からスタートすると、便利さや快適さを求めて何でもできることになる。それは一見自由だが、根拠がないため方向が定まらない。

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(57頁)

これはとても家の話をしているとは思えず胸の内にどすんと巨石を置かれたようななんとも重苦しい気分になりました。読み手の心境によっては耳が痛くなるような言葉がこの本には所々唐突にでてくるのです。

降幡さんは古民家再生を手掛ける時まずその民家の過去を知ることから始めます。過去帳を紐解いて家系図を作り、改築増築の跡から当初のオリジナルの設計図を起こし、家族や地域から話を聞いて当時の空気を知る。どうやって「今」まで来たのかが分かるとその家のこれからのあるべき姿が見えてくるのだそうです。

古民家で生きてきた人たちを知って

最近は古民家を元の持ち主から譲り受けて改装・改築して活用されていることも多いと思いますが、作中に登場する施主さんたちはみんなご先祖様から引き継いだ家をどうにか残したいと苦労された方々です。それも200年、250年といった築年数の古い家です。どんなに古くて汚れていて壊れていても清潔感があり整頓され、そして何より今も立っている。それは200年以上いろんな人たちが手をかけて大切にしてきたからなのですね。

亡きご主人は、毎朝早く起きて、毎日家の拭き掃除をしていたそうだ。

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(79頁)

私は古民会で訪ねた先の古民家で「自分がここに住んだら…」という妄想をよくするのですが、守ってきた人たちのことをこの本で知って複雑に恥ずかしい気持ちになりました。毎日拭きあげるといっても昔の家はとんでもなくでかいのです。6LDKに蔵やら離れやら納屋やらある。それらを維持管理してきた人たちの努力たるや見えないだけで今の私たちにはなかなかできないことかもしれません。

もし自分が幸運にも古民家を引き継ぐ機会にめぐまれたとして、果たして憧れや理想や妄想の域を超える覚悟があるかかなり未知数だと気づきました。家とそこに暮らしたご先祖様とそこにまつわる歴史や地域の人々といった過去からのながれの上によそ者の自分が突然お邪魔し、守り抜き、その後100年続く家として未来の人たちに繋いでいくという責任が急に見え隠れしだしたのです。床拭きばかりしていればいいわけではなく、これは大ごとです。

でもそうやって守るべきものがあるというのは羨ましくも思えるのです。

本物を知ること

作中のインテリアコーディネーターの施主さんが降幡さんにあてた手紙にこんな言葉がありました。

しかし昨今の一般住宅は、安価なクロスや、薄い単板貼りが普及しています。コストのため仕方がないにせよ、「本物」を知らないと、それが当たり前になってしまいます。それが残念でなりません。(略)

降幡廣信著 (2005)『古民家再生ものがたり これから百年暮らす』晶文社(134頁)

本物で育った方だからこそ気付けることなんだろうと思います。本物ってどんなものだろう?これからたくさん見ていきたいものです。

ぜひ訪れたい降幡さんの手がけた場所

作中に出てきた降幡さんの仕事の中には個人宅もあれば観光地のようになっているところもあります。古民会合宿でぜひ訪れようと思います。

長野県安曇野市再生されたこのあたり特有の本棟造りの古民家や歴史的建造物が点在。
降幡さんの事務所もあります。
安曇野市参考:じゃらん
大分県臼杵市降幡さんがのべ150回は通ったという臼杵市。フンドーキン醤油の建物の再生がきっかけで古民家再生が臼杵市に広く波及した。野上弥生子記念館 など同じ通りに古民家が並んでいる。
大分県大分市『浅田回漕部』亡きご主人が毎日拭き掃除をした建物。
住居も兼ねてご商売をされているようなので外から見ることは出来るかもしれない。
茨城県笠間市『栗の家』。移築再生した古民家を利用したカフェ、施主さんの趣味から広がった大規模な骨董市など開かれている。栗の家公式サイト
日本の民泊予約なら、STAY JAPAN
今日紹介したのはこの本
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